ADHDとHSPの見える世界

現在22歳の大学生 ADHDとHSPの生き方を発信してます!

今この瞬間を楽しむ

いつ死ぬかわからない、だからいつ俳優やめてもいいと思えるように一日を充実に過ごしている

NO GOOD TVで山田孝之が言ってた言葉が自分の中で印象に残っている。好きな言葉だし、自分もそんなあり方で一日を過ごせるようになりたい。

 

友人の演劇を見たとき、思春期の苦しみを描いた作品だったせいか、当時の自分を見ている感じだった。あの時友人関係、部活動、将来の事、いろんな具体的な悩みを持っていたとふと思い出す。

けど、自分を客観視してみると「苦しい感情があった」に尽きる。あの時苦しかったことも今の自分にとってはたかが過去の話で、むしろなんであんなに苦しんでたのかと馬鹿々々しくなる。

 だから何に自分が苦しんでいるのかに執着せず、今苦しい状態からどうしたら充実した一日を送れるようになるか、自分自身を導くことが大事なのではないか。

 

では充実した一日って何か? 楽しい一日って何か?

 

一つ言えることは理想を追わないこと。今目の前のことに集中して、一瞬一瞬を大事に生きること。

 

理想を追うと、今の自分の現状を正しく認識することが難しくなる。理想の人になろうとすること、仕事のミスをなくせるようにする、などいろんなことを一度に完璧にできるようになりたい、完ぺきではない自分、理想ではない自分という考え方になる。完ぺきではない、理想ではないと自分の心が満たせなくなっている

 

だから心を満たそうと完璧を求める。そうではなく、自分がしっかりと成長できていることが大事。だから、充実した一日を送るために色々目標を立ててみよう。そして目標を少しずつ達成できたことで自分の心を満たせるようにする。それが充実につながればいいじゃない。心を満たしやすくする一日を過ごすにはどうしたらいいか、完ぺきや理想を追い求めることじゃなく、今自分が行っていることをしっかりと把握して小さな目標をクリアしていくこと。

【ADHD ×HSP】自分に正直に生きる勇気

現在就活をしている大学生です。

私は、ADHDを持っており、人一倍不安を感じやすい気質です。それでも前を向いて歩むことができるマインドを紹介していきます。

正直就活はきついです。もちろん精神的な意味です。面接の際に自分のことについて聞かれます。「あなたの強み、弱みは何ですか」「学生時代に頑張ったことは何ですか」「アルバイトは何をしていましたか」などなど、

この質問に答えるため、ある程度自分の過去を言語化する必要があります。それがいわゆる自己分析です。過去を振り返ってみると、自分には小学生から今まである共通点を持っていました。

 

不安を感じやすい

 

特に私は、周囲の人間に対して不安を感じやすいのだとわかりました。小学生の頃、私は落ち着きがなくデバートの中を走り回ったり、勉強に集中できず別のことに注意を向けたりして、両親に日常的に怒られていました。怒られたくはありませんでしたが、自制心を持って行動することが当時の私には苦手でした。

小学4年生になり、隣に住む私の友人が「お前のお母さんが怒っている声聞こえたぞ」と言ってきました。その他人事だけで、痛いところを針で刺されたような感覚に襲われました。この頃から私は「声が近所に聞こえているのではないか」「親から怒られてると思われてる」といった不安を持つようになりました。そして追い打ちをかけるように両親には「他の子はしっかりしてるのに」と言われ、不安は徐々に膨らみ始めました。

中学3年生の時、その不安は爆発しました。高校の進路選択で私は偏差値67の高校に進むことを決めました。中学1年生から3年生まで塾に通って好成績をキープして、合格を勝ち取りました。今思えば、偏差値67に行かないといけない、周りに惨めだと思われたくない、というプライドが働き、本音とのギャップを抱えていたんだと思います。

そして、そのギャップが葛藤を生み、親への反抗が始まりました。「なぜ勉強ばっかりやらせるんだ」「他と比べるな」「人の少ない島の学校で解放されたい」と親に投げ捨てるように言いました。妹にも強く当たるようになりました。けれども脳裏には「自分の荒げた声が誰かに聞こえてるんじゃないか」という考えがよぎってしまい、葛藤がさらに複雑なものに変わっていきました。ついには両親の前で包丁を突き付けました。「死ね」と言葉を荒げ二階の自分の部屋に閉じこもりました。興奮状態で、徐々に呼吸が荒れていて床に倒れこみ過呼吸を起こしました。母親が部屋に入り、背中をさすってくれて落ち着きを取り戻しました。いつの間にか涙があふれていました。

その後両親にハローワークに連れられて、中卒で働くつらさを教えてくれました。結局私はプライドに負け偏差値67の高校に進学しました。

そこでは自分の知らない人だけでなく、自分よりも頭のいい人が集まっているクラスに身を置かれ、不安が一気に押し寄せてきました。すでに友達を作る心の余裕がありませんでした。そして高校1年生の時に不登校になりました。家ゲームなどしながら周囲をシャットアウトしていました。親への罪悪感もありました。そして何より自分が不安から逃げている自覚もありました。引きこもり~一週間後、重い足取りで学校に行きました。人に会うのが怖くて2限目の始まりに合わせて登校しました。最寄り駅に着くと何か胸のざわめきが起きて視界がぼやける感覚に襲われました。それでもなんとか勇気を学校に着いたものの、一歩踏み込む勇気がなく校門の前で引き返しました。

引きこもっている間、唯一学校で楽しみがあったことを思い出しました。テニスです。高校からテニスを始め、人生で初めて夢中になるものを見つけました。初めて楽しくなれるものを見つけた喜びがありました。朝6:30の電車に乗って誰もいないコートで黙々と練習をしていました。昼休みも部活の友達と練習していました。テニス部を続けたいという気持ちが学校に行く勇気に変わりました。

テニスの「楽しさ」に救われながら、3年生の6月の引退まで続けました。どんなに倒れ掛かっても「楽しさ」に原点回帰することで辛さも乗り越えていきました。

3年生の9月、文化祭で演劇を披露することになりました。私は役者を初めて経験しました。実は中学の進路選択の時から役者に挑戦してみたかったんです。クラスの子にどう思われるか不安もありましたが自分の思いに正直になる覚悟がありました。私は主要な役でセリフも多く、出番も多くありました。クレイジーな役柄だったこともあり大声を張りあるがままをさらけ出しました。何年か分の思いも込めて(笑)

緊張はありました。けど楽しさもありました。やり終えた後は不安など全くなく、人生で最も自信をもって堂々としていました。

 

 

私の歩んできた一部です。不安から逃げなかったことで学ぶことは大きいです。不器用だけど回り道した分だけ得るものが多いから。世間一般の正しい道に執着するのはある意味自分の課題から逃げてしまうことだと思います。その課題から逃げないことで人生を楽しむことができるのではないでしょうか。